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留学生からのメッセージ
いま、日本の子供たちの間には、いじめ、登校拒否、無気力、無関心、学力低下など心の悩みを抱え苦しんでいる姿が少なからず見られ、社会問題の一つに上げられています。
そこで、いろいろな経験を積んでこられた留学生講師の6人の皆さんに、自分の経験を踏まえ、日本の子供たちへの心の支えとなる言葉を寄せてもらいました。
(掲載は順不同)

スペイン語では「ワニの涙」という、「空泣き」を意味する表現があります。
つまり、ワニは涙を見せない動物といわれているのです。
私も家族以外の人には涙を見せたことがなく、自分はワニのように強い人間だと自負していました。
しかし、このプライドはやがて、留学を目的に来日したその初期の段階で、涙とともに流れてしまいました。
自分が目標を持って決意した留学であっただけに、孤独さやホームシック、一言でいうカルチャー・ショックや絶望などを、誰にぶつけることもできず、自分の中に潜めていました。
ところが、それに気づいた担任の先生が「どうしたの?」と声をかけてくれました。
その一言がなぜか、故郷の母の優しい調べのように聞こえて、思わず涙が溢れ出たのです。
その日が記念すべき私の人前での初涙であり、一瞬、恥ずかしく思ったのですが、今は、その日があったからこそ今の自分があるのだと信じるようになりました。
なぜなら、その先生は「涙の数だけ強く優しくなれるのよ!今のこの瞬間を大切にね!」と励ましてくれました。この温かい言葉を胸に、大学を断念することなく歩み続けることができたからなのです。
これと重なるのが、私の父が教えてくれた「欲張らず、地道に毎日努力していると、怖いものはない」というメッセージです。
私が勉学に励む上での最も強力な武器となっています。
些細な夢でも、それに向かって毎日を無駄なく充実することは、きっと「満足できる自分」へと繋がると、私は確信しているのです。
日本の子供たちにも、このことを信じてほしいと思います。

僕は、イタリア人とドイツ人のハーフで、イタリアの田舎で生まれ育ちました。
小中高とも、クラスメイトは全員が純粋なイタリア人だったので、金髪で明らかにドイツ人のような外見の僕はよく目立ちました。
そのため、「ファビオはナチだ!」とからかう子供が少なくなかったし、母にドイツ語で話しかけられたときに、周りの子供たちに「やっぱり、ザウアークラウトだ!」(ドイツの有名な食べ物)と、くすくす笑われたりしました。
その反対に、ドイツに旅行に行ったとき父とイタリア語で話していると、ドイツの子供たちには「スパゲッティ」とからかわれました。
そのため、母とドイツ語で話すのが嫌になってイタリア語で喋ろうとすると、母は「今、恥ずかしいからといって話すのを諦めれば、将来、きっと損になるからドイツ語を諦めないで…。」と言われました。
学校の先生も同じように、「みんなに好かれるのは無理よ。自分の心を大切にしたら、大事な人がそれを認めてくれる。
良い友達なら、多くはなくてもいいから。」と言われました。それから僕は、徐々にハーフであることを誇りに思えるようになりました。
ところがある日、僕の学校と隣町の学校とで交流した際、イタリア人とアフリカ人のハーフの子供がいて、黒人を見たことがなかった僕たちは、大騒ぎをしました。
僕は思わず「ああ、かわいそう!」と言ってしまいました。
すると先生は、「どうして?」と聞き、僕が「白人の間で黒人一人、大変でしょう!」と答えました。
先生は「いいえ、ファビオと変わらないよ!二つの国の血を持つことは幸運だよ。」と教えてくれました。
その後、その子は才能があって、スポーツ活動で優勝しました。先生の言ったことは正
しかったのだ、と僕は納得しました。
いろいろな悩みや苦しみがあっても、自分の心を大切にしていれば、必ず自分を納得できるようになるはずです。
私が今まで歩いて来た道を振り返ってみると、人生は本当に奇妙で、変化に富んだものだと思います。
変化に富んだとはいっても、私の場合は決して楽ではなかったのです。
人よりも、何倍も大変だったと言っていいと思います。
というのは、私は12歳で親元を離れて、大都会で一人で頑張って生きてきました。
教科書が違うため、最初のころの試験では100点満点中、5点しかとれなかったこともありました。
周りには助けてくれる人もいないし、毎日泣いてばかりいました。
でも、自分で頑張るしかないと心に決めたため、自ら進んで勉強に取り組む習慣を身につけました。
焦らず少しずつみんなに追いついて、そして、みんなよりちょっと出来るようになりました。
高校進学のときには倍率の高い志望校に、私の中学校からは私一人だけ受かることができました。
高校でも最初は何もかも普通だった私ですが、大学入試では私一人だけが受かることができました。
そして今、日本のお茶の水女子大学の博士課程で勉強することができました。
私が今日までに至った秘訣は何だったのかというと、周りのことを気にせず、目の前の目標にだけ一所懸命に取り組んできたということです。
いつも周りの人よりも厳しい環境にいたからこそ、強くなれたのだと思うのです。
しかも、厳しい環境にいたからこそ、弱い立場の人の気持ちや人の優しさの大切さなどもよく理解できるようになりました。
中国の古典の中には、次のような言葉があります。
「天がある人に重大な任務を与えようとするときには、必ずその人の精神を苦しめ、その筋骨を飢えさせ、その生活を困窮させ、することなすことの全てをその意志と食い違うようにさせる。
天の試練が大人物をつくり、大事業が行われることとなる」
私は、この言葉を信じています。
日本の児童・生徒の皆さん、今、もしあなたが苦しんでいるなら、それはきっと、あなたを強くするための天からの試練だと思いましょう。
私は中学校のとき、とても良い先生と出会いました。
その名はテザー先生でした。テザー先生は、イギリスのオックスフォード大学でイギリス文学を専攻していました。テザー先生の授業では、シェークスピアなどの有名な作家の小説を読んだり、作文を書いたり、大学の演劇を見に行ったりしました。
テザー先生の授業のお陰で、私は作文を書くのが好きになりました。
ある日、私が通っていた教会で鶏を飼っていた男の人と偶然に出会いました。
彼は小さいころ親を亡くしたので、ずっと教会の人と一緒に住んでいました。
私は彼の悲しい話を聞いて、自分も悲しくなりました。もし私も親を亡くしたら、どういう気持ちになるだろうかと思いました。彼を励ますために、鶏についての御伽噺を書いてあげました。
話はとても簡単なものでした。ある日、友達がいない鶏が道を歩いていると、ある寂しそうな鶏と出会うことができ、その鶏と友達になりました、というような筋書きです。
テザー先生に私が書いた御伽噺を見せると、「これは、とても素敵な話だよ。今度、シドニーの新聞の作文のコンテストがあるけど、出してみないか。」と誘われました。家に帰って母と相談し、コンテストに出すことを決めました。
次の日、母の友達は原稿をタイプしてくださって、書留で出しました。
そして1カ月後、信じられない手紙が届きました。コンテストでは私が地方の代表に選ばれて、最終ラウンドに残りました。
数カ月後、シドニー・オペラハウスで行われた最終結果の発表式に出席することになりました。
私と母、そしてテザー先生と一緒に、初めての飛行機に乗ってシドニーに行きました。
発表式では残念ながら、私は最終審査での優勝はできませんでした。
それでも最後まで残れて、とても嬉しかったです。シドニー・オペラハウスの階段で地方の代表の皆さんと一緒に撮った記念写真は、今でも私の実家の部屋の壁に貼ってあり、とても貴重な思い出になっています。
コンテストの後、みんなの作文はシドニーの新聞社の本として出版されました。
テザー先生と鶏を飼っていた男の人のお陰で、私は作家になりたいと思うようになりました。
高校を卒業してから、キャンベラ大学で副専攻としてプロフェッショナル・ライティングを選びました。
授業では新聞・雑誌の記事と作文の書き方について勉強しました。
日本の修士課程でも博士課程でも、第二言語としてのライティング指導について研究しています。
このような経験から、私が伝えたいことは、将来の夢を持つことの大切さです。中学校での将来の夢でも、自分の力を信じていれば絶対に叶います。
Dreams come true ! 皆さんの将来の夢は何ですか?
私は、中学生のときに来日して間もなく、公立の中学校に入りました。
まだ価値観や世界観が形成されているとはいえない年齢で、言葉の壁に加えて様々な不安を抱えながら、全く異なる新しい学校生活を始めました。
日本の中学校生活の中で、私は人生におけるたくさんの大事な経験をしました。
初めて片言の日本語で友達に話しかけたとき、初めて日本語でテストを受けたとき、初めて補助なしで完全に一人で授業を受けたとき、初めて市主催の主張大会でドキドキしながら大勢の前に出て日本語で講演をしたとき、そして、初めて日本人の生徒と学校の行事で外泊したとき等々。
このように、数え切れない初めての経験と、当時、中学生であった私との間には、様々な不安と恐怖でできた壁が幾重にもありました。
しかし、そんなときいつも支えてくれたのは中学校の先生や友達、そして周りの優しい方々でした。
そいう人たちはよく、「あなたならきっと大丈夫よ。」、「自信を持って頑張りなさい。」と言ってくれました。
その言葉に励まされ、多少の不安はあっても失敗を恐れず、新しいことに挑戦する気になったのです。
それから1年後、私は友達と楽しく学校生活が送れるようになり、さらに1年後には希望する高校に入学することができました。
これらのことは、いつも応援してくださる方々がいなければ到底、達成することはできなっかたでしょう。
日々の励ましと温かい見守りがあったからこそ、今の私があるのだと思うのです。これまで私を応援してくださった皆様には、いつまでも心底からの感謝の気持ちを忘れません。
そして今、何か新しい挑戦をする前には、必ず心の中で「私は大丈夫だ!」と言い聞かせてから頑張るという癖が、自然に身につきました。皆さんも、周囲の励ましの言葉を信じて、精一杯、頑張りましょう。
日本は第2次世界大戦で全てを失いましたが、たったの数十年で世界最先端に上り詰めました。
多分、世界でもこのような例は他にはありません。
しかし、急激な発展を遂げるために頑張ってきた中で、失われたものも多くあるだろうと思います。
仕事が熱心で、「働き蜂」といわれた日本人の汗と涙で世界に誇る工業技術を作り上げた一方で、家族関係が希薄になってきたことも事実でしょう。
そして、こういう社会環境の中で現在は、学校でもいじめなどの事件が社会問題となっていると思うのです。
私の国では、学校の先生は生徒から尊敬される存在であり、間違いを正すためにはたとえ叩かれたとしても、悪く思う人は誰もいません。
学校ではもちろん、軽いけんかなどはたまにはありましたが、仲直りが早いので毎日、学校に行くのはとても楽しいことでした。
そして、授業が分からないときにはみんなでディスカッションをしたり、試験が近づくと何人かが集まって勉強したりすることもよくありました。
一方、日本ではこのような状況が少ないと感じます。
特に日本では、相手がいなくても過ごせるように、インターネットやテレビゲームがあるので、学校の友達が少ないように感じます。しかも、家庭の中での会話が少ないと、社会の中での赤の他人との交流が少なくなるのは当然のことです。
私は小さいころ、先生に言われた言葉を思い出します。
それは「人が死ぬとき持っていくのは金や遺産や地位ではない。
結局は、良い行いと仲間との良い思い出だ」ということです。
社会全体を同時に変えることは難しいのですが、一人一人が周囲の人々と友達になるために前向きに行動すれば社会も変わり、もっと素晴らしい国になるだろうと思うのです。
